スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/-- --:-- | スポンサー広告  

有馬記念2006 ラストランを終えて【ディープインパクト メモリー】

intai

武豊の贈る言葉:ラストランを終えた今の気持ちは晴れ晴れというか清々しい気持ちです。

もちろん、ホッとしたという気持ちもありますが・・

印象の残るレースはと聞かれると、すべてのレースに強烈な思い出があるが、今日の有馬のディープはものすごく強かった、僕も驚きました。

昨年の有馬記念と凱旋門賞の敗れた2戦は残念ですが、ディープは常にベストを尽くしてくれました。

責任を背負って走る立場、負けたレースの印象度合いが強いのかもしれないけどキャリアに傷がつくものではないし、今でも僕はディープが世界一強い馬だと思っています。

ディープからは色々なことを学びました、怖さや面白さ、難しさ・・正直ジョッキーとして責任に応えなきゃいけないという苦しさや、辛い面もありましたけど・・

今ではたくさんの方々、ファンに惜しまれながら引退するのは素晴らしいことだと思います。

競馬場には戻ってきませんが、北海道に行けば会えるし、早くディープの子供に乗ってみたいです。
最後の引退式ではたくさんのファンの方々におめでとう、ありがとうと言ってくれたのが凄く嬉しかったです、その言葉をそのままファンの方々に返したい、そしてディープという本当に素晴らしい馬を褒め称えてくれれば最高です。

武豊オフィシャルHP
スポンサーサイト

2007/02/22 00:24 | 有馬記念2006 ラストランを終えて【ディープインパクト メモリー】COMMENT(0)TRACKBACK(2)  

ディープインパクト伝説最終章 有馬記念2006【ディープインパクト メモリー】

2006年12月24日【中山競馬第9レース】

引退レースにすべてをかけて・・

「ラストのレースにすべてをかけて乗りたい。次の有馬記念が彼の生涯最高のレースとなるように」ジャパンC快勝後の武豊はこう語った。
16年前、当時はバブルの絶頂期、世の中も競馬も今まで以上に売り上げもあり盛り上がっていた、その引き立て役はなんといっても時代のスーパーホースオグリキャップに当時から天才ともてはやされていた若かりしころの武豊、これまたディープインパクトとは違った意味で国民的ヒーローだったオグリキャップは有馬記念を迎える前2戦を期待に反して凡走してしまった、そして最後にそのオグリキャップの引退レースを託された武豊は当時の限界説をはねのけ劇的な感動のラストランを飾ったのである。

あれから16年の歳月が流れ、またここに大勢のファンから引退を惜しまれる国民的な英雄であるディープインパクトの引退レース、ファンの心に永遠に残るフィナーレを迎えたのである。

当日はもちろんのごとく早い時間から俺も中山競馬場に連れを伴い向かった。
去年でさえ16万人という人々がここに訪れたのである、今年は果たしてどれぐらいの人達が来場するのだろう、徹夜組もわんさかいると聞く、いつも中山にいったときはもちろん座れはしないがゴール版の近辺で立ち見をしているので今回はちゃんと観戦できるかなという不安もあってかなるべく早めに現地に到着した。
運良く、朝から晴天にも恵まれ心地いい雰囲気の中で競馬を楽しむことができた。

1年前のまさかの敗退、そして凱旋門賞での屈辱の失格、さまざまな苦難の中でも陣営は攻撃的にディープインパクトを仕上げた、それもこれも今回のラストランにかける意気込みがあればこそのことである。

ハーツクライは有馬を待たずして引退、しかし秋G1連勝中のダイワメジャーを筆頭にメルボルンC1、2着のデルタブルース、ポップロック、2冠馬メイショウサムソン、JC、菊花賞ともに2着のドリームパスポートが鞍上を大井の名手内田にスイッチして参戦してきた、ディープインパクトの引退レースにふさわしい面々が揃い、15時25分運命のファンファーレが鳴り響いたのである。

レースはアドマイアヤメインが予告通りの大逃げを打つ、主役のディープインパクトは今日も後方3番手からの競馬、ダイワメジャー、メイショウサムソン、デルタブルースあたりも早めに行く、向こう場面3コーナーに差し掛かるところでもまだディープインパクトは後方待機、3~4コーナー中間地点でもまだ動かない、最後の最後に爆発させる瞬間をまっているのかのように、勝負どころの4コーナーで場内からは地鳴りのような大歓声が沸き起こる、きたきた、ディープインパクトが一気にまくってきた、それも他馬が止まって見えるぐらいの凄い爆発力、そして直線に入ったところで武豊がゴーサインを出し左ムチ一発でゴール200M手前でトップに躍り出る、追いすがるものは誰もいない、凄い、凄すぎると俺も心の中で唸った!

ゴール前は武豊がディープインパクトをいたわるように抑える圧勝劇だった、最後もやはりディープインパクトらしい競馬であった。
回りはディープの勝利に酔いしれる人、涙を流している人、様々な光景が俺の目にも写った。

去年とは天と地の差、最高の瞬間にその場にいれたことがなんとも幸せを感じられる一瞬だった。

ディープインパクトは引退の花道を生涯最高の「飛び」で自らを華やかに飾ったとともに、最高のクリスマスプレゼントをファンに贈ってくれたのであった。

この日は俺にとっても生涯忘れることのできない最高の一日になった。
ディープインパクトよ、ほんとにありがとう。。
arima

aima2

2007/02/18 20:08 | 有馬記念2006COMMENT(24)TRACKBACK(3)  

ディープインパクト伝説 ジャパンC 【ディープインパクト メモリー】

2006年11月26日【東京競馬第10レース】

「凱旋門賞 無念の3着」

「凱旋門賞 薬物処分により失格」

「ディープインパクト 年内で引退」

この一ヵ月半というもの、ディープインパクト陣営にとっては大変ショッキングな出来事というか悪夢の日々が重なった。

凱旋門賞の負けも薬物騒動疑惑も一種のアクシデント、しかしディープインパクトの金子真人オーナーが下した結論はディープインパクトを年内で引退させるという突然の報道に関係者の池江調教師や武豊を含め日本中のファンがびっくりしたことではないだろうか、もちろんこの俺も寂しさに包まれた。

えぇ~、なんでだよ まだまだディープの走る姿を来年も見たい・・
というような声が多方から聞こえてきた。

しかしオーナーが決めたことはどうしようもない、汚名返上のためにも残り後2戦(ジャパンC・有馬記念)に全力投球するというディープインパクト陣営の力強い意気込みが伝わってきた。

そんな陣営の思惑と日本中のディープインパクトファンが見守る中でジャパンCは行われた。

2頭の外国招待馬と去年の暮れに初黒星を喫せられたライバルであるハーツクライ、その年のクラシック戦線を沸かしてきた2冠馬メイショウサムソンにドリームパスポートと粋のいい3歳馬も参戦し少頭数ではあったがレースの興奮は間違いなく過去26回中NO1であったろう。

レースはコスモバルクが逃げ、千M通過が61秒というスローな流れ、ディープインパクトは例によって最後方を進む。

残り700M、3コーナー過ぎからディープが大外を通って徐々に進出、直線に入ると12万人が大歓声を上げる中ディープは大外に持ち出しエンジン全開、ハーツクライを瞬時に交わし先頭を走るドリームパスポートも差しきった、荒れた最終週の東京の馬場で上がり33秒5という強烈な末脚を披露し全馬をごぼう抜き、悪夢の凱旋門賞から2ヶ月、
、もう一度ここに真の英雄、日本競馬史上最高のヒーローとなって帰ってきたのだ。

とにかく衝撃的な復活劇だった、熱く震えさせてくれた。

さぁ、残るはラスト1戦、いよいよ有馬記念でディープインパクト物語も最終章、スーパースターのラストランは日本列島をもっと熱くさせるに違いない。

すでにそのときはクリスマスグランプリに思いは馳せていた。

武豊の言葉:このレースにかける思いは普通ではありませんでした、特に凱旋門賞制覇を目指し懸命にやっていたスタッフのことを考えると・・残念な結果になって、その後色々なことがあった。
たった一度の敗戦なのにそんな雰囲気になってしまった、だからもう一度ディープを取り戻そう、取り戻したいと思っていたんです。

池江調教師の言葉:「一日が苦しくて長い・・凱旋門賞からの2ヶ月がまるで一年のように感じました。それだけにゴールの瞬間は胸がジンときました、体が熱くなって体内が涙で一杯になったような・・ファンはディープを忘れていなかった、本当に偉大な馬です」
jc








2007/02/18 20:06 | JCCOMMENT(1)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 凱旋門賞 【ディープインパクト メモリー】

2006年10月1日【ロンシャン競馬場】

ディープインパクトが8月の初旬にフランスの地に降り立ってから約一ヵ月半、それまで陣営が凱旋門賞へのトレーニングを積み重ねる日々が続いていた、あえて前哨戦にも出走せずに世界の最高峰にはぶっつけ本番で挑むことになった。

IFHA(国際競馬統括機関連盟)のトップ50ワールドリーディングホースにこの年の7月発表時点ではディープインパクトは堂々の世界ランク1位タイ、8月時点でも2位タイという評価を得て地元フランスでの注目度も高かった。

そして運命の10月1日を迎える。

当日のロンシャン競馬場には日本のディープインパクト応援団が大挙押し寄せそれも話題になり、またこの凱旋門賞はNHKが衛星生放送をしていたので日本中が注目をしていた一戦でもある、現地時間からすれば日本では日曜日の夜中の十二時半、もちろん俺もテレビの前では釘付けになってディープインパクトを応援していた。

ディープインパクトの当面のライバルになろうであるハリケーンラン、シロッコを相手に果たしてどんな競馬をするのか? 日本中のファンの夢を乗せて武豊ディープインパクトの出走する凱旋門賞のスタートが切られたのである。

少頭数(8頭立て)でレースは予想通りにスローペースになる、逆に好スタートを切ったディープインパクトは自然に先行する形になってしまい それでもなんとか我慢をして2番手の追走になった。

全般を通してディープインパクトの折り合いは十分だった、直線を向いて時の脚色はライバルのシロッコ、ハリケーンランをしのいでいた、そして武豊は満を持して追い出しにかかるが半馬身までリードを広げたがいつもの爆発力がなく、その後方で脚をためていたレイルリンクに一気に迫られて、いったんは差し返すが突き放すだけの余力はなくゴール前ではさらに後方にいたプライドにも差されまさかの3着に終わってしまったのである。

騎乗も状態も「完璧」だったはずなのに、これが世界の壁なのか!

テレビの前で絶叫した俺も少々落胆をしてしまった。

そして悪いことは続くもの、さらなる悪夢がディープインパクト陣営を襲った。

それは「悪夢」の薬物騒動であった、ディープインパクトから禁止薬物が検出され11月16日、失格処分がフランスギャロップから下されたのだ・・

「ディープインパクト」は今後どうなるんだという思いが日本中を駆け巡った


武豊の言葉:「コンディションは良かった、直線ではいつもの形で追い出した、でも日本でのレースとは違った。もうひとつのギアが入らなかった感じ、レース直後に言いにくいが本来の走りではなかった、とにかく残念です。悔しいというか残念です」

池江調教師の言葉:皆さんの期待に応えられずに残念です。でもディープは一生懸命に走ってくれた、勝った馬は斥量の軽い3歳馬で、要注意の存在だったが。悲しい結果ですけどこれがいい経験になると思います。これで終わりじゃないのでディープとともに頑張りたい」
gaisenmon

2007/02/18 19:13 | 凱旋門賞COMMENT(51)TRACKBACK(3)  

ディープインパクト伝説 宝塚記念 【ディープインパクト メモリー】

2006年6月25日【京都競馬第11レース】

天皇賞を驚異的な強さで圧勝したディープインパクトの凱旋門賞挑戦が正式に決定した後の、海外壮行レースとも言えるのがこの宝塚記念だった。

負ければもちろん凱旋門賞行きは消えてしまうがそんな心配は俺も含め誰一人として微塵にも感じられなかった。

天皇賞をを快勝したディープインパクトにもはや国内に敵なし、唯一暮れの有馬記念で黒星を喫したハーツクライは現に海外へ挑戦中、このレースは海外に向けてどのような競馬をして勝つか、その一点に集中されたレースとも言えた。

「この馬で行かなかったらどの馬で凱旋門賞に行くのか?」と改めて言い切った武豊の発言は実に頼もしかったといえよう。

レースは阪神競馬場が改修工事中のため京都競馬場で多少雨の降る中馬場はやや重で行われた。

相手といえば天皇賞でディープインパクトの2着したリンカーン、国内ではG1レース惜敗続きだったコスモバルクがシンガポールに出向きG1制覇を成し遂げて帰ってきた帰国初戦のレース、安定味が出てきた皐月賞馬のダイワメジャーといってところだったが勝利は織り込み済みだったようにまったく問題にせずの楽勝の結末だった。

ディープインパクト陣営もファンの関心もすでに世界の最高峰レースである凱旋門賞に向いていた。

過去日本調教馬で凱旋門賞に挑んだのはスピードシンボリ、メジロムサシ、シリウスシンボリ、エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ、タップダンスシチーの6頭、最高成績はエルコンドルパサーの2着がある。

この時点で、目指すは日本競馬界悲願の凱旋門賞優勝という夢に向かってすでにディープインパクトは動き始めていたのである。

このレースの3ヶ月後、もしかしたら今まで想像もできなかったことが現実に起こるのではないかという期待感に俺も夢が膨らんだのであった。

takara


2007/02/18 18:29 | 宝塚記念COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 天皇賞 【ディープインパクト メモリー】

2006年4月30日【京都競馬第11レース】

阪神大賞典の圧勝劇で有馬記念敗北のショックは完全に吹っ切れたディープインパクトとその陣営。

当然のごとく古馬初のG1、春の天皇賞に駒を進めてきた。

ここは今年さらに飛躍し、後の海外遠征のためにもディープインパクトにとっては絶対負けられない一戦でもあった。

しかしそのディープインパクト一色の天皇賞に他陣営も「同じ位置からでは到底競馬にはならない」「ハーツクライが有馬記念でディープインパクトを完封したように、あの馬を負かすには前に位置するしかない」
「3~4コーナーから早めスパートで引き離すのが唯一の抵抗手段」という具合にディープインパクト攻略をしていたのである。

だが、ディープインパクトは他陣営の目論見をこれまた衝撃的な競馬スタイルでいとも簡単に裏切ってしまった!

レースが始まり逃げ宣言をしていたブルートルネードが果敢に逃げていく、トウカイトリックやシルクフェイマス、そしてリンカーンまでもが
早め早めの競馬、ディープインパクトはそれを見るかのようにいつものように前半は後方から数えて2~3番手、しかし向こう場面からとんでもないことが起こった!

なんと早めに仕掛けるはずの他陣営を尻目にディープインパクトと武豊がまだ残り千Mのところから動き出したのだ、そしてゴールまで600Mの地点ではなんと先頭に踊り出てしまったのだ!!

これを見ていた金子オーナーが「まだ早い!」と叫んでしまったのも無理もない、こんな常識を覆す競馬では淀の3千2百はしのぎ切れない、しかしその一分後、ディープインパクトは後続に3馬身半差をつけて、追いすがってくるリンカーンを悠々と振り切り先頭でゴールインしてしまったのである。

普通だったらあの競馬では1ハロン手前で脚が上がってしまうものをそれをディープインパクトはいとも簡単に跳ね除けてしまったのである。

しかも97年にマヤノトップガンがマークした3分14秒4を1秒も上回る驚異的な日本レコードまでおまけにつけた!

春の天皇賞をメジロマックイーンで2度制している池江調教師も常識破りの圧勝劇に驚きを隠せなかった、そしてここまできたらいい形で海外へ行きたいと高らかに宣言をしたのであった。

武豊の言葉:改めてこの馬の驚異的な性能には驚きました、今日はちょっと飛ぶのが早かったですけど(笑)・・
天


2007/02/18 17:54 | 天皇賞COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 阪神大賞典 【ディープインパクト メモリー】

2006年3月19日【阪神競馬第11レース】

悪夢のグランプリから約90日、充電期間を終えディープインパクトはこの年新たな不敗神話を作ろうとしていた。

陣営は無敗伝説は途切れてしまったが、また新たな考えでこの一戦に挑んでいた。

その復帰初戦は春の天皇賞の前哨戦ともいうべき阪神大賞典。

ディープインパクトが出走するということで恐れをなしてかわずかに9頭立て、しかしその中には前年のダービーで2着したインティライミと菊花賞馬のデルタブルースが参戦していた。

しかしまず負ける相手ではないということも含め単勝は1.1倍の圧倒的な支持を受けレースは行われたのである。

ゲートはいつも通りゆっくりと出て後方に下げる、じっと我慢をしていて4コーナー手前から余裕のスパートを掛けると最後のコーナーを回るころには無人の野が開けていた、終わってみれば先行して2着に粘ったトウカイトリックに3馬身差をつける圧勝劇だった。

武豊も「強かったですね、この馬らしい走りを皆さんに見てもらいたかった」と愛馬の走りに満足の様子だった。

天皇賞、そして海外遠征へとこの年ディープインパクトは最高のスタートを切ったのだった。

2007/02/18 17:19 | 阪神大賞典COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 有馬記念2005 【ディープインパクト メモリー】

2005年12月25日【中山競馬第9レース】

シンボリルドルフ以来の史上2頭目の無敗の3冠馬に輝いたディープインパクトのこの年の最終戦にはグランプリの有馬記念が選択された。

もちろん「無敗の4冠馬へ」の期待が大いに高まるこの週であった。

しかしあのシンボリルドルフでさえ、無敗の3冠を達成した後のジャパンCで強豪外国馬の前に3着に敗れている、でもディープインパクトだけは違う、ディープインパクトの負ける姿は見たくないという俺も含めてそれがファンの思いでもあり願いでもあったわけだ。

武豊も「今回の有馬も負けるわけにはいきません、25日の中山もそんな雰囲気になるでしょう、でもプレッシャーがかかるのはうれしいこと、今はその心境に達しています」と報道を通してコメントを表していた。

期待が高まるクリスマスグランプリ、例によって当日の中山競馬場には
ディープインパクトの勝利を信じて疑わない16万余りの大観衆で埋め尽くされた、もちろんその中に俺もいた。

しかし前日の前売り段階でのディープインパクトの単勝が1.6倍!?

ディープにしてはちょっとつきすぎではないか?

最終的には1.3倍にはなったが、俺はそれとなくなんかいやな予感めいたものがかくかにしたのを覚えている、でも信じるものは救われるではないがディープインパクトの負ける姿は見たくないとの思いが強いこともあって俺はディープインパクト1着固定の3連単しか馬券は買わなかった。

その年最後のG1レース、運命のファンファーレが中山競馬場にこだまする、俺は祈るようにディープインパクトを見つめていた。

例によってこのレースで引退を表明しているタップダンスシチーが果敢にハナを奪い逃げていく、驚いたのは今まで後方一辺倒だったハーツクライがなんと3~4番手でレースを進めているではないか!

案の定ディープインパクトはいつものように前半は後方待機、そして3コーナーに差し掛かるときに外を通って徐々に進出していくディープインパクトの姿が映し出された時はまた場内から大歓声が上がった。

そして4コーナー、ディープインパクトもいつものように外を回して先団に取りついてきた、さぁ~頼むぞディープと心の中で叫んだ!

4コーナーを回りウチにはハーツクライが抜け出してゴールを目掛け先頭に立っている、ディープ交わしてくれ~っと思ったのもつかのま、半馬身詰め寄ったところがゴールだった!

ゴール版を過ぎ左手を高々と上げたのはハーツクライのルメールだった

まさか、まさか・・信じられない光景を見た。

「ディープインパクトが負けた」

その瞬間悪夢を見ているかのように、俺も含めて場内は騒然、呆然と立ちすくむ人々の姿が目に映った。

さすがにショックだった、馬券を外したことよりもやはりディープインパクトが負けたことがショックだった。

これが「重圧」というものなのか

思いもよらぬ「負の衝撃」でその年の競馬は幕を閉じた

俺は師走の冷たい風の中をトボトボと家路についたのだった。

武豊の言葉:競馬の怖さ、難しさ、自分の力のなさを感じています。
この馬のすべての力を出し切って負けたわけじゃないけど・・
とにかく今日は飛ばなかった
arima

2007/02/18 16:40 | 有馬記念2005COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 菊花賞 【ディープインパクト メモリー】

2005年10月23日【京都競馬第11レース】

過去、菊花賞で3冠を目指した馬は12頭、その中で無敗のまま挑んだ馬は84年のシンボリルドルフ、ミホノブルボンの2頭だけ、結果シンボリルドルフは勝ち、ミホノブルボンはライスシャワーに最後差され2着に敗れている。

そしてディープインパクトは21年ぶりにその快挙に挑む。

その日は世紀の無敗3冠馬誕生のシーンをひと目見ようと京都競馬場にはたくさんの人々が訪れ、入場者数は96年の12万6千人だった菊花賞レコードを上回る13万人超えのレコードを更新した、俺も京都まで飛んで行きたかったのはヤマヤマだったが我慢して都内のウインズに連れを伴って画面で観戦をした。

「負けることは許されない宿命」と武豊が戦前に宣言!ディープインパクトに乗っている限りはずっと背負っていくもの、すごく責任を感じるけど同時に自分にとってはある意味喜びでもある、こういう馬が現れるのを待ち望んでいましたから」と天才らしいリップサービスもしていた。

「仕上がりは100%に近い、文句のつけようがない」と管理する池江調教師が送り出したディープインパクト、そして歴史的偉業に挑戦する運命のゲートイン。

懸念されたスタートだったがデビュー以来最高のダッシュを見せた、しかし3~4コーナーを知っている利口なディープインパクトに変化が起きた、勝負どころだと思って加速しそうになったのである。

一周目の序盤で口を割るしぐさ、あきらかに折り合いを欠いていた、懸命になだめる武豊、そして待ち構えるスタンドからの大歓声、ここが最大のキーポイントだった。

しかし武豊の強引な最内移動、縦長の馬群の中で数少ないポケットにディープインパクトを一旦収めようとしたのだ、これが功を奏してか向こう場面ではいつもの力まない走りに戻っていてこれでひと安心、後はどこで仕掛けるかとじっくり観察をしていた。

4コーナー手前、2番手からのアドマイヤジャパンが出し抜けを食らわそうと早め先頭に立ち一気に逃げ込みを計った、ディープインパクトは画面で見ているとまだ離れた7~8番手、一瞬やばい!と思ったのもつかのま、武豊のゴーサインに反応したディープインパクトはまたしても菊花賞史上最速の上がり33秒3の末脚で一気にアドマイアヤジャパンを交わし栄光のゴールインを果たし、史上2頭目の無敗の3冠馬に輝いたのである

ほんとに目の覚めるような異次元の走り、強烈な衝撃を与えてくれた。

単勝は100円元返し、圧倒的なファンの後押しに武豊も感動を隠さない「こんな声援は今まで聞いたことありません」と頭上に堂々と3本の指をかざしたのであった。
kiku







2007/02/18 13:43 | 菊花賞COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 神戸新聞杯 【ディープインパクト メモリー】

2005年9月25日【阪神競馬第11レース】

過去、多くの名馬がつまづいた秋の始動戦、シンボリルドルフの1年前にやはり3冠馬になったミスターシービー(京都新聞杯4着)、ナリタブライアン(京都新聞杯2着)などが敗れている。

その年の夏、ディープインパクトは放牧に出ず涼しい札幌を含む自厩舎で調整され無敗の3冠へ向けシナリオは万全に進んでいた。

その3冠への始動戦には春に戦ったシックスセンス、アドマイヤジャパン、ローゼンクロイツなどが顔を揃える神戸新聞杯を選んだ。

その神戸新聞杯には無敗の3冠馬を目指す英雄の姿を生で見たいとなんとトライアル戦にもかかわらず徹夜組まで出る始末、まるで有馬記念並みの熱気だったようだ。

「負ける姿はイメージしていない、ただこのレースでは強いダービー馬が負けている事実もある、まずはこのトライアルをいい形で走らせたい」という武豊のコメント、その言葉通りゲートでは一完歩遅れたが今までよりは速いスタートを切った。

武豊も急がせることもなくディープインパクトとの走りを楽しむかのようにいつものように後方2番手を進む、そして3コーナー過ぎに武豊が馬群の外へと向けるとディープインパクトのエンジンに火がつき4コーナーでは一気に先頭に並びかける勢いで加速をした。

初対決の2番人気に支持され逃げたストーミィカフェを一瞬にして飲み込みアッというまに直線は先頭で駆け抜けた、もうこれは春に何度も見た光景でゴール前はすでに追うのをやめても2馬身半差の楽勝であった。

この時点でももう無敗の3冠馬が誕生することを誰も疑わなかったことだろう、もちろん俺もいつもと同じ桁違いの強さを見せてくれたディープインパクトを見て思いはすでに淀の3千Mを描いていた。

武豊の言葉:なにかこれからの不安は?の問いに「競馬だから結果はわかりませんが菊花賞に向けてはとくにないでしょう、もう文句のつけようがありません」

2007/02/18 11:56 | 神戸新聞杯COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 日本ダービー【ディープインパクト メモリー】

2005年5月29日【東京競馬第10レース】

日本の競馬に携わる誰もが憧れるレース、日本ダービー!

ディープインパクトにとって3冠へのステップではあるがやはりレースの重みは計り知れない。

ダービーは運がないと勝てないと言われるレース、果たしてディープインパクトに勝利の女神は微笑むのか?

この日は無敗の2冠馬の誕生シーンをこの目で見たいという思いを寄せた人達で東京競馬場は埋め尽くされ、俺も朝早くから連れを伴い東京競馬場に出向いて行った。

もう「ディープインパクトは絶対勝ちますよ」といわんばかりに東京競馬場にはディープインパクトの等身大の馬像が飾られ、JRA発行のレーシングプログラムもディープインパクト用に特別な物になっていた。

刻々とスタート時間が近づき、三時四十分運命のファンファーレが東京競馬場に鳴り響くや、場内からは地響きのような大歓声が沸いた!
皐月賞ではツマづいて出遅れるあわやのシーンがあったので皆ゲートの方を見守りながらディープインパクトのスタートを見届けた。

いつものようにスタートは立ち遅れたがまずまずのスタート、ディープインパクトはいつものように定位置の後方待機策、でもあの皐月賞のときよりは全然安心して見ていられた。

二番人気のインティライミが「勝ちに行く競馬をする、4角では1秒差をつけて前にいたい」という陣営の戦前の言葉通り、4コーナーを回ると内ラチ沿いを通ってゴールめがけて佐藤哲が必死に追いまくる、その瞬間ターフビジョンには大外に持ち出したディープインパクトが矢のように伸びてくる映像が映し出されたときには場内は大歓声、俺も熱くなった。

残り200Mで内のインティライミを捕らえるとそのまま5馬身のぶっちぎり、ダービー史上最速の上がり33秒4という驚異的な数字を叩き出しディープインパクトは皐月賞に続き、完璧な競馬でダービーを制して無敗の2冠馬に輝いたのである。

単勝配当110円、3連単ですら4250円の低配当だったがファンは飛ぶように走ったディープインパクトを見て興奮冷めやらない状態であった。

秋に繋ぐまたしても武豊の誇らしげな指2本のサイン。

ほんとうに熱いものを見せてもらった。

帰りに連れと共に祝杯をあげた、その日の酒はほんとうに美味しかった

武豊の言葉:「この馬に乗って直線を走るたびに感動する、今回も飛んでいるような感じ、チーターに近いとまた感じました。ほんとうにボクも感動しました、感無量です。秋に大きいところがまた待っていますので・・」
ダービー




2007/02/18 11:14 | 日本ダービーCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 皐月賞 【ディープインパクト メモリー】

2005年4月17日【中山競馬第11レース】

いよいよ待ちに待った3冠レースの第一関門である皐月賞!

あの日は運良く好天にも恵まれた。

戦前からすでにディープインパクト一色、中には「最強馬が必ずしも勝てないのが中山の2千M、直線310Mという中央場所でも最も短い上にフルゲート18頭がひしめきあう多頭数競馬、紛れが多く大外まくりの一辺倒な競馬をするディープインパクトには危険性あり」などなどの報道がなされていたが、俺自身としてはディープインパクトが先頭でゴールインするということしか頭になかった。

後はディープインパクトがどのような競馬をして勝つか、それに尽きると思っていた。

そしてファンファーレが鳴り響く、ゲートを出た瞬間に俺も場内も大きくざわめいた、ディープインパクトがつまずいてあわや武豊が落馬しそうになったのだ!!

なんとか体勢を立て直すも他馬とは差が開いた最後方からの競馬になってしまってこれには正直ヒヤッとした。

なんと2コーナーを回るときは17番目、再びファンからの悲鳴みたいなものも聞こえたが武豊は冷静にレースを進めた。

そして3コーナーに架かるところで徐々にポジションを押し上げて行き、4コーナーではデビュー以来はじめてステッキを入れられるやそこからまたディープインパクトが目覚めて一気に加速、これまでの3戦と同様に4コーナーを回ると1頭だけ次元に違う伸び脚で先頭に踊り出るやそのまま2馬身半の差をつけて堂々のゴールインを果たした!

まさに衝撃満載の皐月賞であった。

表彰台では武豊がまずは1冠ということで人差し指をかざした、約20年前にシンボリルドルフが皐月賞を無敗で制覇したときに岡部が3冠を確信して人差し指をかざしたその光景そのものがそっくりであった、武豊の中にもほぼ確信に満ちたものがあったのだろう。

2着に人気薄のシックスセンスが飛び込んできて俺は馬券こそ不的中だったが久々に現れたディープインパクトという怪物に酔いしれていた。

武豊の言葉:「向こう場面でポジションを上げていくのは勇気がいったが、よく我慢してくれた。パーフェクトだった。走っているというより飛んでいるという感じがする」
satsuki



2007/02/18 02:02 | 皐月賞COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 弥生賞 【ディープインパクト メモリー】

2005年3月6日【中山競馬第11レース】

わずかたった2戦でディープインパクトはその名の通り強烈な衝撃を与えた。

そしてディープインパクトはクラシックの登竜門である弥生賞に挑んだのである。

関東に初のお目見え、あのときも俺は都内のウインズで観戦をしていた。

今までの2戦とは違い今回はG1ホースのマイネルレコルトや京成杯の勝ち馬アドマイヤジャパンなどと相対し、ディープインパクトにとっても初の長距離輸送、初の中山コースと初ものづくしがいくつかあった。

期待と不安が入り乱れる中においても単勝1.2倍のダントツ人気!

はたしてこのコース、この相手にどういう競馬をするのか俺も俄然注目をしてレースを見ていた。

ハナを切ったダイワキングコンが刻んだラップは千M通過が62秒1のスローペース、それが流れが速くなったのが3コーナー手前、その展開にあってディープインパクトの位置取りはブービーだった。

一気にペースが上がった勝負所で、実に6頭分の外を回り4コーナー3番手まで進出してきたときのあの歓声、そして直線は毎度のように加速して残り200Mで先頭に立った。

なんという瞬発力!

ゴール前ではアドマイヤジャパンに詰め寄られるもまだまだ余裕の手ごたえにすら感じられた。

それは着差だけでは測れない、歴然たる力の違いというのをまざまざと見せ付けられた一戦だった。

この時点で、今年はこのディープインパクトが総なめにするんじゃないかという心境だった。

武豊の言葉:「4角を回って来る時はほんとに気持ちよかった。乗っていても速さを感じる場面でアッというまに先頭だからね。今回も相手を圧倒したと言ってもいいんじゃないですか」
この馬の一番の長所は?の問いに「それは負けないところ。サラブレッドとして才能をすごく感じさせる」
弥生

2007/02/17 23:58 | 弥生賞COMMENT(0)TRACKBACK(1)  

ディープインパクト伝説 若駒S 【ディープインパクト メモリー】

2005年1月22日【京都競馬第10レース】

デビュー戦を衝撃的な強さで勝ち、早々とダービー候補と騒がれたディープインパクトの2戦目はオープン特別の若駒Sが選ばれた。

レースはテイエムヒットベが果敢に逃げを打つ。

ディープインパクトは慌てず騒がず最後方を追走。

レースが中盤に入ると、正直「こんなところから届くのかよ?」っていうぐらい3コーナーでは先頭のテイエムヒットベとの差は約10馬身ぐらい余裕であった!

画面で見ていても、いくらなんでもちょっとじっくり構えすぎではないか?
という印象すら受けたのはたぶん俺だけではなかったはず。

しかしディープインパクトはやはりただ者ではなかった。

直線、武豊がゴーサインを出すとそこから矢のように突き抜け終わってみれば大楽勝、ほんとうに凄い馬が現れたなという感想をそのとき抱いた。

2戦目にして早くもクラシックの最有力候補に躍り出た一番だった!

武豊の言葉:「ボクはただ乗っていただけ。とにかく無事にさえいってくれればいい」



2007/02/17 23:33 | 若駒SCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト リスト 【ディープインパクト メモリー】

厩舎 栗東池江泰郎厩舎所属

血統 父サンデーサイレンス 母ウインドインハーヘア

毛色 鹿毛

性別 牡

兄弟 姉レディブロンド?・スターズインハーアイズ?・ライクザウインド? 

兄ブラックタイド 弟オンファイア・ニュービギニング

馬主 株式会社金子真人ホールディングス

生産者 ノーザンファーム

収得賞金 14億5455万1千円

戦績 14戦12勝(うち海外1戦0勝)うちJRA重賞10勝

主な勝ち鞍 皐月賞 日本ダービー 菊花賞 天皇賞(春) 宝塚記念 ジャパンカップ 有馬記念(以上GI) 弥生賞 神戸新聞杯 阪神大賞典(GII) 若駒S

受賞歴 2005年JRA賞年度代表馬 最優秀3歳牡馬 2006年JRA賞年度代表馬 最優秀4歳以上牡馬

主な記録 日本ダービー単勝支持率73.4%は歴代1位(ハイセイコーの66.6%を更新)。

菊花賞での歴代最低配当(キタノカチドキの単勝1.2倍を更新)。

クラシックレースでの単勝元返しは1957年の桜花賞以来2頭目(ミスオンワード以来48年振り)。

春の天皇賞の単勝支持率も歴代1位の75.3%を集めた(40年マルタケの71.5%を更新)。

宝塚記念単勝支持率も史上最高の75.2%(61年シーザーの72.4%を更新)。
またこの宝塚記念で獲得賞金が10億円を突破。
これは史上最速の記録となる。

ジャパンカップの単勝支持率61.2%および単勝配当130円も史上最高記録(いずれも00年テイエムオペラオーの記録を更新)。

2007/02/17 23:00 | ディープインパクト リストCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクト伝説 ここから始まる 【ディープインパクト メモリー】

2004年12月19日【阪神競馬第5レース】

忘れもしない、俺はちょうどそのとき出張で大阪にいたときのことだった。

仕事も前日に片づき今日は帰る時間まで競馬に没頭しようと思い一緒に来ていた仲間と梅田のウインズへと向かった。

中山、阪神、中京と3開催で3場所ともにその日は重賞が組まれていたため館内は大変混雑、たばこの煙がもくもくとしていて空気が凄く悪いところだなというのが実感だった。

ちょうどこの日を迎える何日か前に、馬友から「ディープインパクト」っていう名前の馬が日曜日にデビューするんだけどこの馬は今後面白いと思うよということは聞いていた。

俺はへぇ~ってな感じでその時は聞き流していたっけ。

そして迎えた阪神競馬第5レース、下馬表を見ると上から下までグリグリの◎、そして単勝がデビュー戦にもかかわらずなんと110円だったのだ。

仲間と「これはディープインパクトで頭は堅いな、後は相手探しだな」俺が仲間に「このディープインパクトっていう馬はかなり注目されてるんだってよ」とさも自分が知ってたかのように伝えた。

レースが始まり前半千Mは66秒の超スローペース、画面で見ていてもディープインパクトはピタリと折り合っていた。
そして4コーナーを回り直線に入るや一騎に仕掛け2着コンゴーリキシオーを並ぶまもなくアッというまに置き去りにした。

最後は抑える余裕も見せる圧勝劇。

前評判通りの衝撃的なデビュー戦だったわけだ。

画面に釘付けになっていた俺達は終わった瞬間顔を見合わせ「強かったな」とたいした配当ではなかったが馬券も取れて笑顔を見せあったのだった。
deb



2007/02/17 18:09 | デビュー戦COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

ディープインパクトのオーナー金子真人氏とは?【ディープインパクト メモリー】

金子真人社長
kaneko

 
かねこ・まこと 1945年3月15日生まれ。
68年に早稲田大教育学部数学科を卒業後、武藤工業に入社。
76年に退社し、同年12月に横浜市に図形処理技術研究所(現・図研)を設立して代表取締役社長に就任。東京都出身。

ディープインパクトのオーナーとしても知られている。

競馬場には行ったこともなかったのですが、10年前に友人に北海道の牧場で子馬を見せられ、「子どもや孫が、運動会で一生懸命走っているのを応援するような新鮮な気持ちになる」と購入を勧められました。景色の美しさや子馬のかわいさに感動したので、買うことにしました。いまだに私は競走馬のトレーニングセンターへ陣中見舞いをしたことがありません。馬を仕上げている所に馬主が出向いては、調教師だけでなく、馬にも神経を使わせ、レースに勝てなくなると考えているからです。


エレクトロニクス製品は、プリント基板という電子回路で動いており、高性能の電子回路を製品に組み込むことは、製造業にとって重要課題になる。その回路設計のノウハウをメーカーに提供していくことが、図研の主な仕事という。 我が社は「エレクトロニクス産業の黒子」の役割に徹しているので、成功例はあっても、言えないことが多い。その中で、ソニーのヒット商品、パスポートサイズのビデオカメラの設計には我々の技術が大きく貢献し、ソニーが「図研のお陰で発売できた」と感謝状をくれたほどです。現在、自動車や電機などで成功しているメーカーは必ずといってよいほど我が社の技術を取り入れてくれています。


 図研は1976年、社員5人で創業したが、2年後には電子回路の図面をコンピューターで設計・製造する「CAD・CAMシステム」の開発に国内企業では初めて成功した。

 このシステムはアメリカで発達したものですが、日本の電機メーカーの設計者が使いやすい形に変えました。ワープロ1台が100万円もした時代ですが、このシステムは、さらに高額の1000万円でメーカー側に売っていた。我々が春を謳歌(おうか)した時代だったかもしれません。でも、エレクトロニクス製品の高度化とともに、我々の役目は、システムを単に売るだけでは、完結しなくなってきた。設計した電子回路を作るための部品をどう調達するかや、製品の試作段階で不都合が生じた時の対応など、回路設計から製品化に至るまでに起こる様々な問題にメーカーとともに取り組む重要性が高まってきました。

 メーカーが抱える課題を当社の技術者が改善、修正する。財務や人事に関する相談業務を文系のコンサルティングとするなら「理系のコンサルティングカンパニー」を自負しています。



 会社設立から数年は、特に外国を含めたライバルとの技術競争が厳しかったという。

 80年代前半、米企業の高性能なCAD・CAMシステムが日本市場に登場した時は、「これは勝てないな」と悩みました。同じ物を作るには最低でも1年はかかると思いましたが、取引先からの注文には「やります。出来ます」と答えた。駄目ならつぶれるだけだと思い、懸命にその技術を分析、構造を解き明かしました。当時は徹夜どころか、会社にずっと泊まった。朝になると、名刺を入れる箱にせっけんを入れて、銭湯に行き、再び出社することもしょっちゅう。幼稚園や小学生だった子どもたちは「お父さんは家にはいないもの」と信じていたようです。


 海外進出も積極的に進めてきた。

 欧米企業が、日本のエレクトロニクス製品が割安で高品質である秘密を探ったところ、「黒子は図研だ」ということを知り、協力を求められたのが、海外進出の始まりでした。最近は多くの日本メーカーが生産拠点を中国に移していますが、当社は90年代前半から北京や上海、深セン(しんせん)に拠点を置いていました。早めに進出していたので、メーカーの中国進出を技術的にサポートする仕事が増えています。



 「理系のコンサルティングカンパニー」を世界規模に展開するのが目標と言う。

 良い技術に国境はありません。特にエレクトロニクスに関しては、世界中のメーカーが力点を置く時代です。我が社のビジネスモデルを本当の意味で世界に普及させたい。難しい課題ですが、創業30年を過ぎても「やることだらけ」ということを幸せに感じながら取り組みたいですね。(聞き手・山本航)





(2005年12月13日 読売新聞)

2007/02/17 01:09 | ディープインパクト オーナーCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

 | BLOG TOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。